今話題の“筋肉芸人”青木マッチョさん。
見た目のインパクトと明るいキャラで注目されていますが、実は元消防士という異色の経歴の持ち主です。
この記事では、青木マッチョさんが「どこの消防士だったのか?」という疑問に加え、消防士時代の活躍や転職理由、さらには芸人としての現在までをわかりやすく紹介します。
- 青木マッチョさんが勤務していた消防署の場所
- 消防士になった理由と退職のきっかけ
- テレビ出演経験やエリート消防士としての一面
- 芸人転身後の活動と筋肉タレントとしての人気ぶり
青木マッチョのプロフィール

名前 | 青木マッチョ |
本名 | 青木 滉平(あおき こうへい) |
コンビ | かけおち |
生年月日 | 1995年7月31日 |
血液型 | B型 |
出身地 | 愛知県名古屋市 |
趣味 | ソロキャンプ/銭湯巡り/絶叫マシン巡り/謎解き/クレヨンしんちゃん映画鑑賞 |
特技 | ピアノ、ドラム、カリンバなどのいろんな楽器演奏/太鼓の達人/あみだくじを速く解く/缶を斜めに立たせる/大食い早食い/足が速い/1人でどこでも行ける/謎解き/麻婆豆腐を上手に作る/デッドリフト260kgあげる/カエル倒立を永遠にできる |
所属事務所 | 吉本興業 |
青木マッチョさんは、2021年に結成したコンビ「かけおち」のボケ担当。
ピンでもTBS系「ラヴィット!」に出演し、人気を博しています。
180㎝90㎏とはかなりの巨体の持ち主ですね…!
青木マッチョは元消防士!
それもただの消防士ではなく、1年目からレスキュー隊に所属するほどのエリート隊員だったのです。
当時の姿からは、今の明るい芸人とはまた違った一面が見えてきます。
消防士としての青木マッチョさんを詳しく見ていきましょう。
🔹どこの消防士だった?
高校卒業後の18歳で消防士となり、約6年間勤務していました。
消防士時代の写真も公開されており、その姿はまさに「筋肉と規律の象徴」!

消防士として6年…そのまま続けていたら今頃はベテラン消防士になっていたかもしれませんね!
🔹消防士になった理由
体を動かす仕事がしたいという思いから選んだ職業でした。

高校の頃には既に筋トレの素晴らしさに目覚めていたという青木マッチョさん。
お兄さんの友人が消防士になった話を聞いたのがきっかけで、自分もその道を意識し始めたようです。
「筋トレを続ける意味があるよね」と自他ともに納得できるような仕事に就き、はたらきながら体を鍛えたいと思っていたんです。
引用:https://studio.persol-group.co.jp/nama/250129-1
筋トレ愛が人生の選択にも影響するって、すごいエピソードですね!
🔹エリート消防士として活躍?
消防士といえば、公務員試験が必須です。
そして、新人としては異例なことに、消防士1年目からレスキュー隊に抜擢!
優秀な試験成績に加え、この体格からも、周囲から期待が集まっていあたのでしょうね。
レスキュー隊はまさにエリート中のエリート。すでにその頃から“マッチョ魂”が炸裂していたんですね!
🔹 料理担当や運転手としても活躍
消防士として勤務していた当時、青木マッチョさんは料理担当や運転手としても重要な役割を担っていたそうです。

これは筋トレの影響で身体が大きすぎて現場作業に支障が出ることもあり、その分チーム内でできることを率先して引き受けていたからとのこと。
X(旧Twitter)でも「6年間ずっと上司の分まで料理を作っていた」と投稿しており、料理スキルには自信があるようです。
救急車に座るには体が大きすぎる!と言われたこともあるそうです。
🔹苦しい消防士時代
周囲からも期待され入隊した消防士。
しかし、実際に入隊すると毎年仕事に異動があり、人間関係がとても厳しかったそう。
そして、辞める直前の最後の年こそ優しいメンバーに恵まれ、仲良く活動できたといいます。
逆に、それまでの5年間、仲の良さより厳しさの方が勝っていたということですね…
🔹幽霊に遭遇する消防署
毎年異動のあった青木マッチョさん。
ある時、幽霊がでると噂の消防署の勤務となります。
というのも、その消防署は元々、墓地をつぶして建設したという経過があったのです。
署内では、親子の霊に遭遇しても冷静に対処すること、ただし母親のみの霊の場合は急いで逃げるようにという教訓があったそうです。
実際、署内の壁にはお札も貼ってあったということです。
夜勤の時など、より一層怖そうですね・・。
青木マッチョが消防士を辞めた理由
🔹理由は“やりたいことを仕事にしたかったから”
消防士という安定した職を持ちながら、青木マッチョさんは「本当にやりたいこと」を模索していたそうです。
ま消防士時代に先輩から性格を指摘されることが多く、居心地の悪さも感じていたという背景もありました。
その中で、きっかけとなったのが痔ろうの入院。
“入院前日に「辞めます」と伝えたら、病院に逃げ込める”
と思い、退職を決意しました。
それまでの厳しく苦しい消防士時代は、休養も待遇も安定し毎日が忙しい日々でした。
しかし、青木マッチョさんは、それらを捨ててでも「何か楽しいと思えること」に進むことを決意したのでした。
まさかの、痔ろうによる入院が退職の決め手となったとは!
🔹辞めて芸人に転身
退職後は、芸人になることを目指し名古屋から上京。
1年間は都内でバイトしながらさらに筋肉を育て、キャラづくりに専念していました。
この1年で更なるマッチョとなったのですね!
そして1年後の2020年、吉本興業のNSC(養成所)に入学。
「目立ちたい」という思いから、見事、お笑い芸人としての道を歩み始めた青木マッチョさんです。
🔹NSC時代からテレビ出演!
実は、青木マッチョさんは、まだコンビを組む前に中京テレビ『オードリーさん、ぜひ会ってほしい人がいるんです。』に出演。
2020年5月と2021年2月に「あみだくじ最強の男」として登場し、本名での出演でした。
これは、吉本興業の芸人養成所であるNSCに入学しているときに出演したものと思われます。
2020年4月にNSCに入学し、5月には既にテレビ出演した青木マッチョさん。
まだコンビとしてデビューする前の青木マッチョさんですが、人気番組に2度も出演していたとは流石です!
芸人としての“はじまり”はこの出演だったのかもしれませんね!
人気筋肉トレーニンナーとしても活躍
芸人とトレーナー、二足のわらじで大活躍中です。
野田クリスタルさんからは、吉本一のマッチョと太鼓判を押されている青木マッチョさん。
個別トレーニングはいつも予約がいっぱいなほどの人気っぷりとのことです。
筋肉を活かした独自の立ち位置に今後ますます注目があつまります。
芸人×筋肉って、思った以上に需要があるんですね!
まとめ
Q:青木マッチョはどこで消防士をしていた?
A:愛知県豊田市の消防士として6年間勤務していました。
Q:消防士を辞めた理由は?
A:消防士の仕事や人間関係が厳しかったから。
Q:芸人になったあとは?
A:NSCを経て、筋肉芸人としてバラエティやイベントで活躍中!
Q:現在の活動は?
A:芸人のほか、マッスルビレッジでのトレーナー活動も。
消防士としてのキャリアを経て、夢を追い続ける青木マッチョさん。
今後もその筋肉と笑顔で、たくさんの人を元気にしてくれるはずです!
青木マッチョさんのこれからの活躍がますます楽しみですね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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